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自然と歴史が織り成すロマンを辿る①~100年前の外国人も愛した避暑地「雲仙」~

堀口治香

雲仙温泉街が明治末期から昭和初期にかけて外国人に人気の避暑地であったことをご存じでしょうか?

↑当時の白雲の池のようす
↑現在のようす。変わらず美しい自然がみられます

雲仙観光局では、当時の外国人が実際にどんなルートを通って雲仙まで来て、どんな風に過ごしていたのかを体感できるツアーを作ろうと動いています。

そして、このツアー造成では、外国人居留地研究などで知られ、グラバー園の名誉園長でもあるブライアン・バークガフニ先生にご協力いただいています!

バークガフニ先生は、今年の3月に著作『欧米人が歩いた 長崎から雲仙への道』を発行されました。

この本では、今まで明らかにされていなかった明治期~昭和における外国人避暑地としての雲仙の様子が詳しく紹介されています。

写真も沢山掲載されており、当時の様子を想像しながら読むことができます。

↑『欧米人が歩いた 長崎から雲仙への道』

およそ100年前の外国人の目線で、雲仙までの道のりを楽しむというツアー。

今まで雲仙温泉街でこのようなツアーを作ったことはなく初の試みであるとのこと!

まずは、6月の終わりごろに一度みなさんで集まって打ち合わせをしました。

↑打ち合わせの様子

打合せでは、日本に在住している外国の方を主たるお客様として、ツアーを作っていくことが決まりました。

ツアーで伝えたいメッセージとして、

・明治~昭和に盛んに往来があった長崎から雲仙のルートと避暑地雲仙が望まれた背景を知ることによる歴史の「再発見」と「驚き」

・自分と同じ国籍の人達(日本人にとっては外国人)が、昔雲仙で何をしていたのか、どんな気持ちで滞在していたのかを知ることによる「感動」

・自然、特に火山の恵みとその豊かさを知り、それを享受する「喜び」

などが挙げられました。

当時は、長崎港→(茂木街道)→茂木港→(船でいくつかの港に停泊しつつ)→小浜→雲仙というルートを通って避暑地雲仙に着いたとのこと。

明治後半から昭和の時代、少しずつコースを変えながらも雲仙への道は続いていたようです。

↑当時の長崎から雲仙への道のり。

今年の冬ごろには模擬ツアーを実施する予定で進みます。割とハードなスケジュールです…!

早速、次回は実際にツアーの道のりを下見することが決定しました。

長年、多くの観光客を魅了してきた「雲仙」という土地。

100年前訪れた外国人たちは雲仙のどんなところに惹かれていたのでしょうか?

現代とどんな違いがあったのでしょうか?


普段とは違った、新しい角度で雲仙の魅力を感じられる時間になりそうです。

これからも、ツアーができていく風景をお伝えしていきますのでお楽しみに!

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